東京地方裁判所 平成4年(特わ)1111号 判決 1993年6月17日
主文
被告人を懲役三年六か月に処する。
未決勾留日数中二四〇日を刑に算入する。
理由
(犯行に至るいきさつ等)
一 被告人の経歴及びIとの関係
被告人は、昭和四一年ころから、銀座でクラブ「花」を経営していたが、他の事業にも手を広げて失敗したため、昭和五六年にはクラブ経営も含めて倒産し、その後は知人のクラブの経営の手伝いや布団の販売等をしながら生活していた。
ところで、被告人の経営するクラブの客として、当時すでに組織暴力団稲川会の幹部であったI(以下、「I」という。)が出入りしていたことから、被告人は、同人と知り合い、内妻同士も親しかったこともあって、Iの家にも出入りするようになり、関係を深めていった。Iは、稲川会横須賀一家総長であった昭和五三年にいわゆる韓国詐欺賭博ツアー事件により逮捕され、その後服役したが、そのころから、将来の暴力団のあり方として、事業経営その他の経済活動にも進出して勢力を拡大していくことが必要であるとの考えを抱いており、被告人もそのことを知っていた。そこで、被告人は、Iが出所した直後の昭和五九年一〇月、その自宅を訪ねたところ、Iから、「これからのやくざは博打だけでは食っていけない。経済活動をやっていきたい。ゴルフ場やホテル経営をしたいが、手初めに不動産業をやりたいので手伝ってもらいたい。」と告げられ、これを承諾した。しかし、事業資金はなく、暴力団やその関係者では融資も受けにくいため、暴力団員でない者を代表者にするなど表面は暴力団関係のない形の会社を作ることにより資金調達を図り事業を進めることにし、後楯になってくれる企業を探していた。
二 東京佐川急便及びその前身
東京佐川急便株式会社(以下、「東京佐川急便」という。現在は、佐川急便株式会社、大阪佐川急便株式会社、中京佐川急便株式会社等と合併して、佐川急便株式会社となっている。)は、東京都江東区<番地略>に本社を置き、一般貨物運送事業等を目的とする会社であり、平成元年当時、発行済み株式のうち約六四パーセントを佐川清及びその支配する会社が保有し、残りの約三六パーセントを分離前の相被告人W(以下、「W」という。)が保有していた。
ところで、同社の前身となる会社は、昭和三八年、Wにより設立され、W運輸株式会社(当初は三好運送株式会社)の商号で、個人経営の運送会社として順調に業績を伸ばしていた。その後昭和四九年、業務提携により佐川清が統括する佐川急便グループ(清和商事株式会社を統括会社とする。)の系列下に入り、東京佐川急便の名称で営業を続けた。ところが、昭和五一年ころ、佐川清は、有限会社丸辰運輸の営業上の名義を新東京佐川急便としたうえ、都区内の西部地域を東京佐川急便の営業区域から外してこれを新東京佐川急便に担当させるなどしたため、Wは、このままでは経営困難になることを恐れ、昭和五三年ころ、W運輸株式会社の株式の六〇パーセントを無償で佐川清に提供し、その結果東京佐川急便は佐川清側の支配する会社となった。そして、東京佐川急便は、東京ブロックの主管店として、多数の店舗を傘下に置き、業績の向上に尽力した結果、平成元年当時には、東京ブロックの売上高は、佐川急便グループ全体の四〇パーセント弱を占めるまでになっていた。
しかし、Wは、株式の過半数を佐川側に保有され、佐川急便グループに属する会社の社長が佐川清によりしばしば更迭されていることから、自分もいつその地位を失うかもしれず、そうなればこれまで築き上げてきた会社の経営権をすべて失うことになり、到底それには堪えられないという思いを強めていた。そして、経営権や地位を守るためには、政治家の影響力を背景にして行く必要があると考え、多数の政治家との交際を深めていたが、それのみならず暴力団の影響力をも背景に、佐川側に対抗する必要があるとの思いをひそかに抱いていた。
三 WとI及び被告人との関係
被告人は、昭和五九年一二月ころ、知人から東京佐川急便が未だ暴力団との関係のないことを聞き、資金調達に利用するのに好都合な企業として接近を図ることとし、かつて銀座のクラブ「花」の客であったWを訪ね、不動産業の会社を設立するのでよろしく支援をいただきたい旨を告げ、以後東京佐川急便の配送センター用地等の仲介をすることで、東京佐川急便に出入りするようになった。
翌昭和六〇年二月には、右の趣旨の会社として、Iが資本金三〇〇〇万円の全額を出資しその実質的支配のもとに北祥産業株式会社(以下、「北祥産業」という。)が設立され、暴力団員ではない被告人がその代表取締役となった。これより先の一月ころ、被告人は、Wに、Iの下で働いていること及び右会社がIの支配するものであることを打ち明けていたが、前記のような双方それぞれの思惑を抱いていたことから、そのころすでにIとWとは料亭で会食するまでになっていた。そして、配送センター用地取得に関して北祥産業に高額の仲介手数料を支払い、他方でWの私事に関するブラックジャーナルの記事につきIの影響力によって掲載されないように差し止めてもらったり、知人の息子が経営に関与する建設中のゴルフクラブの内紛をIの影響力により解決してもらうなどして、WもIの影響力の大きさを実感し、必要なときにこれを利用できるようにしたいという思いをいっそう強め(後に政治家との交際を深める中で、その依頼により右翼の街頭宣伝を中止させるなどの政治的な場面にも利用されることとなった。)、他方被告人も、Iの指示に従い、東京佐川急便を事業資金を取得するための手段として利用できるようにするため、用のないときでもWや常務取締役のS(分離前相被告人、以下、「S」という。平成三年七月常務取締役解任。)を訪問して面談するようにし、親密な関係作りに努めていた。
ところが、同年一〇月、北祥産業が金融機関から融資を受けようとした際、Iの支配下にあることが金融機関側に発覚したために融資を受けることが困難になるという事態が生じた。そこで、昭和六一年二月には、東京佐川急便の系列会社のような外観を呈する会社として北東開発株式会社(以下、「北東開発」という。)を設立し、Sを代表取締役に、また東京佐川急便の関連会社の役員を登記簿上の役員にするなどして、北祥産業では得にくくなった融資を受けやすくした。
四 北祥産業、北東開発の資金調達に対する東京佐川急便の援助
そのような中で、被告人は、Iの指示により、まず、Iの株式購入資金の融資を東京佐川急便から受け、更にゴルフ場の開発資金の融資を、東京佐川急便の保証を得たうえで、北祥産業及び北東開発が金融機関から受けるようになった。Iは、まず、茨城県内の岩間カントリークラブの開発を手掛け、谷田部カントリークラブ、谷和原のゴルフ場、千葉県内のゴールドバレーカントリークラブのゴルフ場建設にも手を広げていった。そして、その資金につき東京佐川急便の保証のもとに次々と借入れを重ねていき、平成二年三月の時点では、北祥産業、北東開発の両社を合わせ金融機関からの借入総額は約六三〇億円に達し、そのうち東京佐川急便の保証による分は、約五四〇億円にも達していた。
五 I関連企業の経営実態
ところで、実際には、そのようにして借り入れた資金のうちのかなりの部分は、ゴルフ場開発に使用されず、Iの株式投資資金やIが設立した多数の関連企業の運営資金に流用されていた。
ところが、株価が下落し始め、とりわけIが大量に買い占めていた東急電鉄株が大きく値下がりして値上がりが見込めない状況にあり、取得した株式を担保に借り入れた資金で更に株式取得をしていたため、株価下落により担保の追加(追い証)を求められるなど、Iの株式投資は破綻状態にあり、しかも追い証の増加により株の売却で得た資金での既存債務の弁済の見込みも少なくなっていた。また、ゴルフ場の開発のうち、岩間カントリークラブはほぼ完成し、その会員権資格保証金の名目で集めた三八四億円のうち一部は借入金返済にあてられたが、過半の二〇〇億円については、東京佐川急便が保証していた融資の返済にあてる約束になっていたにもかかわらず、Iの株式取得資金に流用されており、Iの株式取引が破綻していたこともあって、二〇〇億円の回収も困難になっていた。その他のゴルフ場については、ゴールドバレーカントリークラブは用地取得で難航して開発が危ぶまれる状態にあり、谷和原のゴルフ場は開発許可を得る見込みがなく断念し、谷田部カントリークラブはその開発名目で多額の資金を借り入れながらわずかの用地しか取得しておらず開発許可を得るのに必要な用地取得が極めて困難になっていたなど、いずれのゴルフ場についても開発による収益で北祥産業、北東開発の債務を返済することは期待できず、投資した資金の回収は困難な状態にあった。更に、他のIの関連企業に回された資金についても、同様に回収は困難な状態にあった。
その結果、北祥産業、北東開発は、大幅な債務超過となっており、資金繰りは、すでに自転車操業の状態で、弁済期の来る債務の弁済にあてるための資金調達に汲々としていたが、平成二年三月には「暴力団株で太る。」という見出しの記事が掲載され、北祥産業、北東開発は金融機関から借入金の返済を求められ、借替えも含め新規の貸付けを断られるものが増え、資金繰りにますます窮するようになった。したがって、東京佐川急便としては、早晩保証債務の履行を迫られるおそれの高い状態になっていた。
六 被告人及び関係者の認識内容
Iはもとより被告人も、おおむね右のような状況にあることを認識していた。他方、W、Sも、遅くとも平成二年五月初めまでには、Iの株式取得資金に借入金の相当部分が流用されているが、株式取引が破綻状態にあることや、ゴルフ場事業の進展状況につき、被告人の報告や言動等により大筋のところは認識していた。したがって、被告人、I、W、Sは、Iの株式投資や関連企業に流用された資金の回収の見通しが暗いうえ、前記ゴルフ場の開発に伴う債務の返済の見通しもつかないことから、このまま漫然と保証行為や貸付けをすることによって、W、Sの取締役としての忠実義務に背き、東京佐川急便に益々損害を拡大させることを認識していた。しかし、W、Sは、東京佐川急便の北祥産業、北東開発に対する保証額が莫大な金額に上っており、このまま保証や貸付けを打ち切ると、資金繰りが続かなくなって倒産を招き、暴力団関連企業に対する債務保証等が露見するばかりか、莫大な保証債務の履行をせざるをえない事態に追い込まれてしまっており、そのような事態に至れば暴力団の影響力を背景にしようとするWの意図も無に帰することになるため、もはや被告人側からの債務保証や貸付けの申し出を断ることは心理的にも困難な状態にあり、W、Sの置かれたこのような立場については、Iはもとより被告人も十分認識していた。
(罪となる事実)
被告人は、以上のような状況にあることを知りながら、稲川会最高幹部のI(平成二年一〇月一〇日まで二代目会長、平成三年九月死亡)の意を受けて、東京佐川急便の代表取締役社長であったW、同社常務取締役であったSに対し、引き続き、北祥産業、北東開発を債務者とする金融機関からの借入れにつき東京佐川急便の連帯保証、あるいは北祥産業、北東開発に対する東京佐川急便からの貸付けを要請していたが、Wは東京佐川急便の代表取締役としてその業務を統括し、Sもその常務取締役としてその経理業務を統括していたことから、両名とも、債務保証を行うにあたっては返済能力の危ぶまれるものの保証は差し控え、あるいは従前の保証債務以上の損害が生ずることのないよう、損害の発生や拡大を防止する万全の措置を講じたうえでこれを行い、貸付けを行うにあたっても返済能力の危ぶまれるものの貸付けは差し控え、あるいは十分な担保を差し入れさせて貸付金の回収を確保するなど損害の発生や拡大を防止する万全の措置を講じたうえでこれを行うようにするなどして、同会社のために忠実にその業務を遂行すべき任務を有していた。
にもかかわらず、被告人は、W、S及びIと意思を相通じ共謀のうえ、少なくとも北祥産業、北東開発ひいてはIの利益を図る目的をもって、株式会社の取締役であるW及びSのそれぞれの右任務に背き、
第一 別表一記載のとおり、平成二年五月二八日から同年一一月一四日までの間、前後七回にわたり、北祥産業及び北東開発の両社が金融機関である株式会社富津総合開発ほか三社から借入れによる融資を受けた際、北祥産業、北東開発の両社が多額の債務を抱えていて返済能力がなく、かつ、金融機関や東京佐川急便に対し何らの担保も供されていないことから、東京佐川急便において両社の債務を保証すれば、早晩その保証債務の履行を求められる状況にあるのを熟知しながら、W、Sにおいて確実に従前の保証債務を消滅させるためにのみ使用するなどの使途について厳格な制限やそのために必要となる特段の措置等を講ずることなく、いずれもそのころ、東京都江東区<番地略>所在の東京佐川急便本社において、Sにおいて、別表一番号1、2、5ないし7については債務者を振出人とする約束手形に券面保証し、その余については(別表一番号7については合わせて)連帯保証人として東京佐川急便代表取締役W名義の記名押印した必要書類を作成したうえ、これらを、北祥産業、北東開発の社員を介して借入れに際し前記金融機関の担当者に交付するなどして、北祥産業又は北東開発の株式会社富津総合開発ほか三社に対する総額一二二億円の借入れ債務につきそれぞれ連帯保証し、東京佐川急便に同額の損害を与えた。
第二 別表二記載のとおり、平成二年九月二八日及び同年一〇月二二日の前後二回にわたり、前記東京佐川急便本社において、北東開発に対し、同会社が多額の債務を抱えていて返済能力がなく、同会社に貸付けをすればその貸付金の回収が危ぶまれる状態にあることを熟知しながら、W、Sにおいて何ら担保を差し入れさせることもなく、東京佐川急便の損害を拡大させることにならないような使途に限るなど使途についての厳格な制限やそのために必要となる特段の措置等を講ずることもないまま、北東開発のために東京佐川急便が芙蓉総合リースから借り入れた合計三五億円をそのまま貸し付けることとし、利息天引きにより受け取った金額合計三一億五二九二万八七六九円を、Sにおいて東京佐川急便の社員を介して当時の協和埼玉銀行赤坂支店の北東開発の普通預金口座に振込送金して、それぞれ貸し付け、東京佐川急便に合計三五億円の損害を与えた。
(証拠)<省略>
(法令の適用)
被告人の第一の各行為及び第二の各行為は、いずれも刑法六五条一項、六〇条、商法四八六条一項に該当するところ、被告人は東京佐川急便の取締役の身分及び認定した任務のいずれをも有しないので、刑法六五条二項により通常の刑を科することとなるが、その刑は、行為時においてはいずれも平成三年法律三一号による改正前の刑法二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号、裁判時においてはいずれも右改正後の刑法二四七条の定めるところであって、犯罪後の法律により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により、いずれも軽い行為時法の刑によることとして、その定める刑のうちいずれも懲役刑を選択する。以上の各罪は、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条により、犯情の最も重いと認める第二の別表二番号2の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年六か月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中二四〇日を刑に算入することとする。
(弁護人の主張に対する判断)
一 弁護人は、被告人には個人的な利益が帰属していないし、北祥産業、北東開発の実質的経営者であるIの指示の下で行動しており、いわばIのメッセンジャーの役割を果たしていたに過ぎないから、被告人は、Iとは異なり、本件犯行の共同正犯ではなく幇助犯にとどまると主張する。
二 前記認定のとおり、確かに、被告人は、Iの意を受けて行動していたし、北祥産業、北東開発の実質的な経営者はIであり、被告人は本件により直接個人的な利益を受ける立場にはなかったことが認められる。しかし、被告人に個人的な利益が帰属しているか否かにより、それだけで正犯性が左右されるものとはいえないし、実質的経営者以外の者については正犯になり得ないという筋合のものでもない。
そして、前掲の関係証拠によると、自己資金のない北祥産業、北東開発が事業活動を展開するためには金融機関から融資を受けることが是非とも必要であり、そのためには、東京佐川急便の債務保証等の協力が不可欠であったところ、被告人は、その東京佐川急便との交渉という重要な役割を当初から一貫して果たしていたこと、その交渉に際しても、被告人は、単にIの意向を伝えるにとどまらず、Iの意向に沿いつつ自らの判断で、北祥産業、北東開発の窓口としてこれらをいわば代表する形で、一定の裁量をもって、W、Sとの交渉にあたっていたことが認められるのであって、被告人は、本件共謀の成立過程で重要な役割を果たしていたことが認められる。
また、北祥産業、北東開発は事実上一体であり、被告人は、北祥産業はもとより、名目上はSが代表取締役となっている北東開発についても、対外的には代表者あるいはそれに近い立場にある者として振舞うなど重要な地位にあったこと、そして、本件による利益は、すべてまず北祥産業、北東開発に帰属し、その相当部分が北祥産業、北東開発の債務の弁済その他の必要資金にあてられていたことが認められる。
しかも、「犯行に至るいきさつ」の四ないし六項において認定したとおり、ゴルフ場のずさんな事業計画やIによる資金の流用等によって借入金の返済を困難にするという事態を招いているにもかかわらず、I及び被告人は、Wらが新たな保証や貸付けに応じなければ、北祥産業、北東開発が倒産する結果になって東京佐川急便の莫大な損害が現実化し、暴力団に対する莫大な利益供与の事実も明るみに出ることとなって、W、Sが苦境に陥る結果となるのを熟知しながら、あえて右両名に任務違背行為を要請していることが認められるのである。
以上の事情の下では、W、Sに特別背任を犯させるにあたって、被告人の果たした役割やその占める地位は重要であるということができ、身分を有するW及びSの行為を手段として身分のない自己の犯罪意思を実現しようとしていたものということができるから、被告人についてもその共同正犯と認めるのが相当である。
(量刑の理由)
1 本件の特別背任事件は、大手貨物運送業者の会社社長らによる、日本有数の暴力団の幹部の経営する事業に対する融資、保証に関するものであって、被告人は、利益を得た側の者として、特別背任罪を犯すことのできる身分を有する者と共同して罪を犯した共同正犯者としての責任を負うものである。本件で特に注目されるのは、大手企業の幹部が、その任務に背き企業の利益に反して、社会からの排除が叫ばれて久しい暴力団に関連する企業に対して莫大な資金的援助を行い、利益を与えていたという点であって、その反社会性はまことに大きいといわなければならない。のみならず、本件の過程で生じた出来事とはいえ、Wが右のような動機から政治家及び組織暴力団との結び付きを強めていた結果として、いわゆる右翼の街頭宣伝活動を暴力団幹部であるIの力を使って中止させるなど、政治における暴力団の影響力の利用といった事態にまで立ち至っているのであるが、それが国民の間に大きな政治不信をもたらす一因となっていることも、軽視できないところである。本件を契機として、企業及び政治の倫理が問い直されることとなったばかりか、組織暴力団と企業、政治との結び付きが進めば社会にとっていかに恐るべき結果を生ずることとなるかを、改めて認識させられることにもなった。
2 本件により得られた資金の相当大きな部分が、それまでの東京佐川急便の保証債務等の負担を消滅させる主債務の弁済のために使用されていることを考慮しても、本件各犯行の結果、従前よりも更に数十億円に上る莫大な被害の拡大を招いている事実は否定できず、その被害は一部を除き回復されないままに終わっており、東京佐川急便の経営を著しく悪化させた一因ともなっているのであって、その結果はまことに重大である。
別表一
番号
借入れ及び保証年月日
(平成・年・月・日)
債務者・
被保証人
債権者
主債務額連帯保証額
1
二・五・二八
北祥産業
株式会社富津総合開発
二〇億円
2
二・七・一〇
右同
右同
一〇億円
3
二・八・六
北東開発
芙蓉総合リース株式会社
二二億円
4
二・九・五
右同
アポロ不動産株式会社
二〇億円
5
二・九・一八
右同
株式会社富津総合開発
一〇億円
6
二・一〇・二
右同
右同
一〇億円
7
二・一一・一四
右同
東京ファクター株式会社
三〇億円
主債務額・債務保証額合計一二二億円
別表二
番号
貸付年月日
(平成・年・月・日)
貸付金額(北東開発への送金額)
1
二・九・二八
五億円(四億五二三六万九八六四円)
2
二・一〇・二二
三〇億円(二七億〇〇五五万八九〇五円)
貸付額合計三五億円
3 ところで、本件は、暴力団の影響力を利用しようとする企業幹部とこれを組織の金づるないし資金調達の拠り所にしようとする暴力団幹部とのそれぞれ双方の意図が重なり合うところに、その発生の基盤があった。被告人やIの行為は、Wが、長期間にわたって営々と築き上げた事業を手許に留め置き自己の地位を守るためにも政治家の影響力のみならず組織的暴力団の隠然たる影響力をも手に入れておく必要があると考えていたのを利用し、あるいはむしろこれに付け込んで、抜き差しならぬ事態に追い込んだうえ、組織の力を背景にして利益追求を続けたものであって、被告人ら暴力団関係者の刑事責任は、まことに重いというべきである。
4 被告人は、その中で、いわゆる企業舎弟として活動していた者で、暴力団の支配下にある企業にむしろ積極的に身を投じ、対外的には代表者として振舞うなどして、反社会的組織の利益に通ずる活動に奉仕していたものであり、利益を取得するうえで被告人の果たした役割は大きいことからして、厳しい非難を免れない。しかし、実質的経営者であったIの責任と比べれば自ずと差異があることを否定できず、もともと組織の内部に身を置いていた者と異なり、部外者として結局のところ利用されて終わった面も窺われる。加えて、被告人は、本件につき、捜査段階で詳細に事実関係を認める供述をしており、公判でも基本的には罪を認めており、交通事犯の罰金のほかには前科のない身であって、現在では社会を騒がせた自己の行為を悔いていることが認められる。
5 以上の事情を総合考慮したうえ、被告人を主文の刑に処するのを相当と判断した。
(検察官金田泰洋、同田内正宏、私選弁護人伊藤卓藏、同八代宏公判出席。求刑 懲役四年)
(裁判長裁判官小出錞一 裁判官加藤就一 裁判官安東章)